一章 珠洛








宴は日が落ちてからも続き、夜が深くなるほど盛り上がりを見せていた。
上段から藍王が満足そうに眺め、兵や呪師たちがこの日ばかりは無礼講だ、と騒いで酒におぼれるものばかりだった。
漣は喧騒から逃げるように部屋の隅で息をついて、背中を壁に預けている。
グラスに注いだ飲み物を一口含むと、喉を焼くような熱さが伝っていった。
いささかきつい酒のようだが、浮かない気分には丁度いいのかもしれない。

(最悪だわ)

この日何度目になるか分からない溜息をまたひとつ吐いて、一気に酒をあおった。

「―――漣どの、それぐらいにしておいたほうが」

そばに控えた紫稀も、いつもは無表情であるがこの時ばかりは漣を不安そうに諫めた。
酒に弱い訳ではないことは知っていたが、気持ちを宥めるように酒を煽る彼女を見たのは初めてだったのだ。
漣は彼の視線に気づき、苦笑する。

「心配しなくても、分別はあるつもり。自分が駄目になるまで酒に頼ったりはしないわ」

そう言われてしまえば、紫稀は黙り込むしかなかった。
漣は給仕の女性に空いたグラスを預けると、また並々と注がれた新しいグラスを受け取って、一口だけ口に含んだ。

「やっぱり、甘いのかしらね」
「漣どの、」

不安そうにこちらを見つめる紫稀に漣は苦笑し、遠目に窺うことのできる藍王を見た。

「わたしはこの国のために呪師になったのだった・・・・」

呟かれた一言に、紫稀は何とも言えない表情をした。
彼女が、呟いた一言は、「藍王」のためではなく「国のため」だった。
何気ない一言だったが、彼女の心情をよく表している。

(自分の師であるこの人は、国と王命との間で、ずっと苦しんでいるのだ)

腐敗した王宮の中で、漣は異例だった。
絢爛豪華で、雅で、美しく、どこよりも血なまぐさいところ。
意思を固く持ったものでも、一年ともたず、己の信念を失っていくところ。
だがそんな城の中で、彼女はだれよりも異例だった。
竜王の時代に仕えていたという呪師を父に持ち、七里という辺境の村から現れた少女は、三年たった今でも、癒しの呪師でい続けることにこだわっている。
紫稀は、この一年彼女のそばで学ぶ中で、彼女がいかに強いか知っていた。
癒しの呪師であることに誇りを持ち、休暇で戻った村ではひとを守ることを厭わなかったという。
その陰で、癒しの呪師であるというだけで陰口をたたかれていることも知っていた。
軽やかな笑みで交わしていたが、認められないことに苦悩していることも知っていた。
自分の呪の腕をあげることで、確固たる自信にしようと努力する漣を、紫稀はいつからか心から尊敬していた。

(―――なのに、どんな気持ちでいるのだろう。)

いままで振り切ってきた妬みや陰口をそうやって振り切ってきたのに、王命という力に屈することしかもう、道はないのだ。

「紫稀、あなたがそんな顔することはないのよ?」

漣は顔をしかめた紫稀の頭を、弟にするようにそっと人撫でする。

「っ、おれは、あなたの苦悩を知っている、・・・だからっ・・・」

珍しく絞るように声を荒げた彼に、漣はほほ笑むと、大丈夫、と続けた。

「大丈夫よ、陛下は民のことを一番に考えてくださる。だから、わたしはお仕えするだけだわ。今と変わらない、心配いらないわ」
「――――次の戦は、あんたも行くのか」

急に声が背後からかかり、漣は驚いて振り返った。
褐色の瞳と赤茶けた肩口までかかる髪を、ひとつに括った青年が立っていた。

「・・・お久しぶりね、崔慈(さいじ)」

彼は、一見、人の良さそうな笑みを浮かべた。

「さすがだな、あんたの星占の右に出る奴なんてそうそういないな」
「いえ、私などまだまだ。・・・それに、あなたの実技の呪には到底及ばない。」

謙遜ではなく、本気で思った。実技試験は呪師同士、一対一で行う。彼はものの数分で、相手の首に手をかけた。それはもう、鮮やかに、隙もなく。あの、強い瞳にはたして自分だったら、いくら持っただろうか、と観覧席で漣は背筋がひやりとしたのを覚えている。

「実技など、実践でいくらでも強くなれる。ひとたび戦場に立てば、それは身を持って知ることになるさ」
「・・・・・・」

暗に、戦場に立つ決意を促しているようだ。漣は黙り込む。
彼は、穏やかな笑みから一転、冷やかに目を細めた。

「力あるものが、支配できる。それが自然の理(ことわり)。曲げることのない永遠の連なり。何故それを、避ける?」

まるで最初から決められたことに癇癪を起して愚図る子どものようだ、と。嗤う。
ぴくり、と僅かに肩を揺らした彼女を見て、それまで静かに控えていた紫稀が声をあげた。

「―――っ、漣どのには、漣どのの考えがある。一概に押し付けつけるのは、」
「紫稀」

いいのよ、と漣は苦笑した。声を荒げた少年は、勢いをなくして彼女を見た。そのかわり握りしめた拳に力が入る。

(おれは知っている。力と力の狭間で、悩む彼女の姿を。何度となく。幾度となく。だから、我慢ならなかったのだ)

「いいのよ、紫稀。本当のことだから」

漣は、もう一度そっと笑って、爪が食い込むように握りしめられた紫稀の拳に触れた。そのままその拳に目を落とす。

「力で支配することが間違っているなんて・・・言わないわ。言えるわけがない。国は支配と従属の歴史を繰り返している。それで得る幸福があるのも分かる。民の、笑顔も。そして、縛りのない無法地帯が荒廃していくのも。」

矛盾している。国も、世界も、法も、もちろん、私も。

「現に、私は力で支配された国で、安穏と生活してきたわ。藍王陛下のお力が強いからこそ安全に暮らしてこられたのだし、明日の生活に危険など感じることもなかった。」

漣は崔慈を、ひたり、と見据えた。

「それはとても生きやすい世界だったわ。―――けれど、誰からも奪うことのない国の在り方を、目指してみたっていいじゃない」

「陛下の統治を否定するか?」

崔慈は鼻で笑った。このまま是、と漣が答えれば反逆罪でこの場で切り捨てようか、とも思った。しかし、漣はそれを見越したかのように、にこり、と笑みをこぼした。

「いいえ、陛下の統治には賛成よ」
「へえ?」

崔慈は尚も、面白そうに笑った。その様子を、紫稀ははらはらと見つめている。

「言ったでしょう、力で支配するのが国である、と。だから陛下には賛成。けれど、他国から奪わずに、お互い支え合う関係を気づくことが出来たら、陛下にとって有益だと思うのよ。私は藍王陛下の御代を支えていきたいと思っているから」

漣は、グラスに口をつけて、そのまま酒を飲みほした。そうして、そばに控えた給仕の女性に空けたグラスを差し出すと、また黄色い液体が入ったグラスを受け取る。舌に冷たい刺激の来る、さっぱりとした果実酒だ。

「聞かせてみろよ、その支え合う関係とやらを」

崔慈は戦場を好むが、元来、貪欲に知識を吸収することにも楽しみを感じる性質(たち)でもある。
純粋に、目の前の女の意見が聞きたくて、続きを促した。

「あら、簡単なことだわ。いまのあなたと私のように、分かり合えるように話すのよ。そうすれば奪われることなんてないのだし、奪いに行くことなんてしなくていいじゃない」
「・・・呆れたな、小娘の戯言でしかない」

いとも簡単に言ってのけた漣に、催慈はすぐに落胆した。あまりに安直で、子どもの意見だと思った。しかし漣はたいして気にもせず、そのまま見つめて言った。

「分かっているわ、それが戯言だってことぐらい。でも、私は陛下も、陛下の治めるこの国も、光り輝く御代で満たされてほしい。ただそれだけだから、言葉を飾る必要なんてない。難しい言葉で語ったって、結局私がしたいのは、陛下にお望みするのは、そういった分かり合う関係なのよ」

芯の強い漆黒の瞳とぶつかり、崔慈はほんの僅かながら、たじろいだ。
いささかも迷いのない言葉があまりにも眩しいと思ったのだ。

(しかし、それは同時に、いつか身を滅ぼすことにもなるだろう。)

崔慈は年下の同僚に憐れみにいた気持ちを覚えながら、忠告の言葉はあえて飲み込んだ。
彼にとって、力こそがすべてだからだ。己の身を己自身で壊すものなど、救う必要はない。

「――――まあ、いい。せいぜいその分かり合う関係とやらを目指せばいい。」

失礼する、と言葉を投げ、彼は身を翻すと宴の続く広間の中へと消えていった。



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